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円満院はもともと三井寺の門跡寺院で三井寺の山門に近いところからここの庭に句碑が建立されたものと思われます。
芭蕉は元禄4年8月15夜、義仲寺の草庵(無明庵)に大津、膳所んお門人を招いての月見の俳句を詠んだとされます。
元禄4年(1691)48歳の作です。
句意…皎々たるこの名月に浮かれ出て三井寺まで押しかけ、月下の門を敲きたいものだ。「僧ハ敲ク月下ノ門」を踏まえ、それに倣って月下の門を敲こうというところに逸興の余勢がこもっています。また謡曲「三井寺」に同じ8月16夜の月を賞でる場面があるのを連想した着想と思われます。 |
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鑑賞 |
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円満院はもともと三井寺の門跡寺院で三井寺の山門に近いところからここの庭に句碑が建立されたものと思われます。
「大津絵」の句は芭蕉が元禄4年48歳の正月、木曽寺で吟じたとされています。
三日口を閉て題二正月四日一 「大津絵の筆のはじめは何佛」 芭蕉 元禄四年
元禄4年正月4日、乙州宅での作。芭蕉48歳。「曲水宛書簡」(大津絵から、江戸在勤中の膳所蕉門の曲水に近作を知らせるために宛てた書簡)
三日口を閉て題正月四一(みっかくちをとじてしょうがつよっかとだいして)と読む。
三ヶ日は何も句を作らず四日にの意。正月と言えば書初めだが、大津絵の絵師たちは一年の最初にどの仏の姿から書き始めるのであろうか?
大津絵は土欲的な色彩で阿弥陀像や不動明像などを描いたものが含まれている。なぜかこの国には、正月三ヶ日は佛のことは言わない風習があって、大津絵の絵師たちも三ヶ日は仕事をしなかった。芭蕉も同じように三ヶ日「口を閉じ」て、この句は4日に作ったという。
曲水宛書簡には曲水の歳旦吟「金平も分別やすむ朝かな」を受けて「三日口を閉じて」と、前書きしたとしている。
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