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精進料理
「精進」という言葉は、もともと
「邪念を捨て、一心に仏の道に励む」
という意味の仏教語です。
精進料理とは 精進料理の一例
「精進料理」とは、肉や魚などのなまぐさと呼ばれる物を一切使わず、野菜や豆、海藻などの植物性の食材のみを使用して作る、菜食料理です。
しかし、単なる菜食主義ではありません。「料理」という言葉の上に、「精進」という言葉がつくのでわかるように、「仏道」(仏の道)を目指す者が作り、「仏道」の精神を持って食する料理です。
「精進」という言葉は、もともと、「邪念を捨て、一心に仏の道に励む」という意味の仏教語です。では、「精進料理」は「菜食料理」でなくてはならないのか?
「魚・肉料理」ではなぜいけないのか?
実際に、チベットでは仏教寺院でもお祝いとか、各種の法要、供養時に肉料理が供されます。しかし今、日本において、「精進料理」と言うときは、「菜食料理」です。
なぜ日本では「精進料理」には肉や魚を使わないのでしょうか。日本に伝来した「大乗仏教」の歴史と「精進料理」の成立の流れを追ってみました。
精進料理のルール
ルール1 肉、魚、臭いの強い野菜は使わない
ルール2 素材の持ち味を生かす
ルール3 季節の物を彩りよく使う
ルール4 無駄を省く
ルール5 工夫が大事

○ルール1 肉、魚、臭いの強い野菜は使わない

まず大原則として、精進料理には肉、魚、は使いません。これは仏教の不殺生戒から来ています。
なお、お釈迦様の時代には、信者からの布施物であれば、いくつかの条件を満たしていれば
肉や魚でも食べて良かったということです。
要するに肉だろうが魚だろうが食べる側の心持ちが大事である、ということなのです。
しかし、禅宗の精進料理の中でも、鶏肉等の使用を認める宗派もありますが、曹洞宗の精進料理では肉や魚は使いません。

或いはネギやニラ、玉葱などの臭いの強い野菜も禁じられています。
古いお寺の山門にはたいてい「不許葷酒入山門」と書かれた石柱があります。
これは「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」と読んで、要するに酒やニラ、ネギ等は
お寺に入ってはいけない。という意味です。
酒はもちろんのこと、ニラだのネギだのは、若い修行僧の禁欲に都合が悪い、
という意味もあったようです。

はっきり言って、魚や肉を使えば料理は簡単です。
魚、肉そのものがおいしいのですから、料理人はなるべくその強いうまみを逃がさないように
料理するわけです。良い肉は、塩とこしょうだけで味つけして鉄板で焼いてそのしたたる肉汁と共に
食べるのが一番うまいのです。
玉葱やニラなども、野菜とはいえ、その味とうまみは強烈です。ためしに、玉葱の入ったみそ汁と、
そうでないみそ汁を作って下さい。全然味が違うのがわかるとおもいます。

つまり、野菜の淡い味をいかに引き出して食するか、という繊細な世界には、肉・魚の使用は
そぐわないのです。
肉や魚を使ってしまうと、あくまでメインは肉や魚であり、野菜はその味を引き立てるための
添え物になってしまうのです。
逆にいえば、肉や魚、玉葱の強い味を使わずに、野菜の味を主役にする精進料理こそ料理人の腕が
試される、というわけです。


○ルール2 素材の持ち味を生かす
○ルール3 季節の物を彩りよく使う

濃い味付けをして醤油や砂糖の味に野菜を染めてしまうのではなく、野菜そのものの淡い味をいかに
引き出して生かすか、という事が肝心です。
それには、季節ごとに旬になる野菜をなるべく使うことが大事です。

今はどんな野菜でも一年中人工栽培で出回っています。しかし、やはり旬から外れたものは味も臭いもイマイチです。
逆に、旬の物は色も良く、味も豊かで、良い香りがします。しかもその上旬の野菜は値段が安い。
盛りつけたときの美しさも格別です。

例えば、タケノコは春が旬です。タケノコとワカメをおいしく炊き合わせた「若竹煮」などは、
やっぱり春の料理です。
また、松茸はやはり秋のもので、日本人ならば秋になると松茸ご飯を食べたくなるのです。
春先に松茸を、秋にタケノコを(高いお金をかけて)食べても、旬の料理にはとてもかなわないのです。
精進料理とは関係ないのですが、やはり日本人のDNAには、長い間染みこんだ移り変わる季節を
愛でる心というのがあるのではないでしょうか。
その意味からも、ルール2と3はお互い関係しあっています。
季節の旬の物を敏感に感じ取って使うことが、「ものの命を活かす」ことになるのです。


○ルール4 無駄を省く

いくらおいしい料理のためとはいえ、ジャンジャン生ゴミが出るような料理は精進料理とは言えません。
なるべく無駄を出さず、野菜を全て使い切ってこそ精進料理です。
例えばカブの煮物をするとしたら、その葉は細かく切ってみそ汁の青みに入れ、むいた皮は塩でもんで
ごま油を加えて漬物にする、といった具合に、献立の段階で無駄が出ないようにするのです。
或いは来客用のもてなし料理でしたら、おいしいところ(カブの煮物)は来客に出し、皮の部分の漬物や葉の青みは内輪のお昼に食べる、という具合にします。
また、もし昼作った筑前煮がたくさん余ってしまったら、豆腐を加えてダシで割って建長寺汁にする、
といった具合です。
もちろんそのためにはある程度経験を積み、応用が効くようにならねばいけません。


○ルール5 工夫が大事

禅宗で珍重されている、40年以上前に記されたある精進料理の書物にこんな話が載っています。
「ある老師に仕えて典座役を任されていたとき、来客があった。
その来客のために、いつもと違った変わり物料理を出そうと思い、小豆の煮汁で寒天を固めて 刺身に似せた物と、豆腐をつぶして片栗粉で固めてタレをぬったウナギの蒲焼きもどきを作って出した。
すると老師に 『なんじゃこれは!馬鹿者!禅宗坊主が偽物をつくるとは何事だ!』 と大喝された。
確かにこれは精進料理の邪道であると反省した」

なるほど、わざわざ刺身に似せたのはセンスが悪かったと思います。しかし、「邪道である」とまでいうのはどうでしょうか。

さきほど旬の野菜を使うことが大事だと強調しましたが、野菜はいつまでも新鮮なわけではありません。
当然日が経てば傷んでくるわけです。
お寺では、檀家さんなどから「おーい、うちの畑で取れた胡瓜が余ったから持ってきたよー」なーんていう寄進物が結構あります。それがたまたま同じ日に沢山もらった場合などは、どうしても使い切れずに残ってしまうことがあります。

そしていたんで柔らかくなってしまったような物は、旬とはいえ臭いも色も悪くなります。
そんなとき、工夫して胡瓜をすり下ろして寒天で固めて酢醤油で食べればまたオツなものです。
同じように、たくさん豆腐をいただいたような時には、毎日毎日冷や奴ばかり出したのでは食べる方が飽きてしまいます。
やはり、手間を掛けて食べる側が飽きないような工夫をしてこその「もてなしのこころ」です。
先ほどの豆腐のウナギ蒲焼きもどきにしても、同じ事がいえると思います。
いろいろと工夫してその材料を使い切る、これこそ立派な精進のこころだと思います。


以上、5つのルールは便宜上5つに分けてありますが実際はお互いそれぞれ関連しあっています。
ひとつが崩れれば他も成り立ちません。
この5つのルールを頭に入れて、次の実技に移りましょう。
   


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